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午前3時の警鐘:『根性』が蝕む脳、1000年先の未来を脅かすもの

2025年11月、私たちは技術の進歩と裏腹に、まるで時代を逆行するかのような「働き方」の現実を目の当たりにすることがあります。

 

最近、例えば高市早苗首相が予算委員会当日に「午前3時出勤」を余儀なくされるといった、常軌を逸したスケジュールが報道され、大きな議論を呼びました。また、それを支える周囲の方々が、深夜、あるいは徹夜に近い形で膨大な資料作成に追われているという実態も、半ば常態化していると聞きます。

 

ここで論じたいのは、高市内閣の政策や、その政治的な是非では決してありません。特定の立場や個人を論難するためでもないのです。私たちが焦点を当てるべきは、もっと根源的な問題、すなわち「人間の生命活動としての限界」と「脳という臓器の特性」を無視した働き方が、どのような結末を招くか、という点です。

 

高い報酬や地位、あるいは国を動かすという使命感。それらがいかに強大であっても、私たちの脳と身体は、生物学的な法則から逃れることはできません。

 

「国のため」「組織のため」という大義のもとに行われる自己犠牲的な「頑張り」が、かえってその人のパフォーマンスを著しく低下させ、判断を誤らせ、個人の生命を縮めるだけでなく、巡り巡って「日本国の生命(=未来の可能性)」すらも失わせてしまうとしたら。

 

本日は、1000年先の未来を見据えるために、私たちが今、直視すべき「脳科学的な不都合な真実」について、深く考察していきたいと思います。

 


 

第1章:午前3時の脳で、何を判断できるのか

 

私たちの社会には、「寝る間も惜しんで働く」ことを美徳とし、困難な状況を「根性」や「気合」で乗り越えることを賞賛する文化がいまだ根強く残っています。しかし、脳科学の観点から見れば、これは最も非合理的かつ危険な行為の一つです。

 

最大の犠牲となるのは「睡眠」です。

 

睡眠は、単なる「休息」や「オフライン状態」ではありません。近年の研究で、睡眠は脳にとって最も重要なメンテナンス時間であることが解明されています。

 

私たちが眠っている間、脳内では「グリンパティックシステム」と呼ばれる清掃機構が活発に働きます。これは、日中の活動で脳細胞(ニューロン)から排出された老廃物—特に、アルツハイマー病の原因物質ともされる「アミロイドβ」など—を、脳脊髄液を使って洗い流すシステムです。

 

この清掃活動は、主に深い睡眠中にしか行われません。

 

「午前3時出勤」のために睡眠時間を極端に削る、あるいは「深夜までの答弁書作成」で慢性的な睡眠不足に陥るということは、脳内に毎日ゴミを溜め続ける行為に等しいのです。

 

この「ゴミ」が蓄積した脳、すなわち深刻な「脳疲労」状態に陥った脳では、何が起こるでしょうか。

 

真っ先に機能不全に陥るのは、脳の最高司令室である「前頭前野(ぜんとうぜんや)」です。前頭前野は、論理的思考、合理的な判断、計画、感情のコントロール、そして「未来を予測する」という、人間に最も求められる高度な機能を司っています。

 

睡眠不足は、この前頭前野の血流を著しく低下させます。 研究によれば、一晩の徹夜、あるいは数日間の軽い睡眠不足が続くだけで、前頭前野の機能は、法的に「泥酔状態」と同レベルまで低下することが示されています。

 

私たちは、国の未来を左右するかもしれない重要な判断(例えば、複雑な法案の審議、外交交渉、経済政策の決定)を、「泥酔状態」と同等の脳で行うことを許容できるでしょうか。 「頑張っている」という精神論とは裏腹に、脳のパフォーマンスは物理的に著しく低下している。これが、私たちがまず知るべき科学的な現実です。

 


 

第2章:ストレスが海馬を萎縮させ、過去の教訓を奪う

 

睡眠不足と表裏一体なのが、過剰な「ストレス」です。

 

「いつ終わるとも知れない作業」「失敗が許されないプレッシャー」「不規則な生活」。これらは、脳にとって典型的な慢性ストレス源です。

 

人間が強いストレスにさらされると、身体は「闘争か逃走か」モードに入り、ストレスホルモンである「コルチゾール」を大量に分泌します。短期的にはパフォーマンスを上げるコルチゾールですが、これが慢性的に分泌され続けると、脳に深刻なダメージを与え始めます。

 

特に狙われるのが、記憶や学習を司る「海馬(かいば)」です。

 

海馬はコルチゾールに非常に弱く、慢性的なストレスによって神経細胞が破壊され、物理的に「萎縮」してしまうことがわかっています。

 

海馬が萎縮すると、何が起こるか。 新しい情報を効率的に学ぶことができなくなるだけでなく、過去の経験や教訓(=記憶)を正確に引き出すことが困難になります。

 

政治や行政において、「過去の失敗から学ぶ」ことは、同じ過ちを繰り返さないために不可欠な能力です。しかし、当事者たちが慢性的なストレスと脳疲労によって海馬を損傷させていたとしたら、どうでしょうか。

 

彼らは「過去の教訓」を適切に参照できず、目先の情報処理に追われ、短絡的で表面的な対応に終始してしまうかもしれません。どれだけ膨大な答弁書を深夜までかかって作成しても、その基礎となる「知性」や「記憶」の基盤そのものが、ストレスによって日々破壊されている可能性があるのです。

 

これは、個人の健康問題であると同時に、国家の「集合知」の危機とも言えます。

 


 

第3章:「頑張る」ほどに失われる、未来を創造する力

さらに深刻なのは、こうした「脳疲労」状態が、私たちの未来を創造する力を根本から奪ってしまうという事実です。

 

脳には、大きく分けて二つの主要なネットワークがあると言われています。

 

一つは、目の前のタスクに集中し、論理的に処理するための「タスクポジティブ・ネットワーク(TPN)」。まさに、答弁書の作成や予算委員会での質疑応答で酷使される部分です。

 

もう一つは、一見何もしていない「ぼんやりした」状態の時に活発になる「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」です。 このDMNこそが、実は「未来を創造する」上で決定的に重要な役割を果たしています。

 

DMNが働いている時、脳はバラバラだった過去の記憶や経験を再編集し、結びつけ、新しいアイデアや、長期的なビジョン、他者への共感といったものを生み出しています。

 

しかし、深夜までの仕事、早朝からのタスク、分刻みのスケジュール…というように、常にTPNがフル稼働し、脳が「タスク」に追われ続けていると、どうなるでしょうか。 DMNが働くための「余白」が、脳から完全に失われてしまいます。

 

脳疲労の極致にある人々は、目の前のタスクを処理することはできても、「この政策は100年後、1000年後にどのような意味を持つか」といった長期的・大局的な視点で物事を構想する能力を失っていくのです。

 

彼らは「頑張っている」つもりかもしれません。しかし、その「頑張り」こそが、脳から創造性や大局観を奪い、より良い未来への道を閉ざしているとしたら、それは個人の悲劇であると同時に、国家の悲劇です。

 


 

第4章:1000年先の日本のために、脳科学から導く「べき論」

 

 

私たちは、この「生物としての限界」を無視した働き方を、いつまで続けるのでしょうか。1000年先の日本という、途方もなく長い時間軸で未来の繁栄を願うのであれば、私たちは価値観の根本的な変革を迫られています。

 

脳科学的な観点から、1000年先のために私たちが今、確立すべき生活様式とは何でしょうか。

 

1. 睡眠を「義務」として再定義する

 

まず、睡眠は「権利」や「怠惰」ではなく、知的パフォーマンスを維持するための「義務」であり、最も重要な「仕事」であると認識を改める必要があります。 特に、社会に大きな影響を与える立場にある人ほど、自らの判断力を最高(少なくとも正常)に保つため、十分な睡眠時間を確保することが道義的な責任となります。午前3時に最高のパフォーマンスを発揮できる脳は存在しません。1000年先の未来を語る資格は、まず「昨夜7時間眠った脳」にこそ宿る、と考えるべきです。

 

2. 「余白(DMNの活動)」を意図的にスケジュールする

 

分刻みのスケジュールは、効率的に見えて、実は脳の創造性を殺しています。1000年先を見据えた革新的なビジョンは、タスクの詰め込みすぎた脳疲労状態からは決して生まれません。 意識的に「何もしない時間」「ぼんやりと未来を構想する時間」を確保すること。デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)を働かせる「余白」こそが、国家の未来を設計するための最も生産的な時間である、というコンセンサスが必要です。

 

3. 「根性」ではなく「脳のコンディション」を評価する

 

「長時間働いた」というプロセス(根性)で人を評価する旧態依然のシステムを破棄し、「いかに質の高いアウトプット(判断)を、持続可能な形で行ったか」という「脳のコンディション管理」で評価する文化へ移行しなければなりません。 脳疲労を蓄積させ、パフォーマンスが低下した状態を放置することは、個人の怠慢ではなく、組織の「管理不全」であり、国家の「リスク管理」の欠如です。

 


 

結論:最も守るべきは、未来を思考する「脳」である

 

1000年先の日本。それは、今を生きる私たちが、どのような「脳」の状態で未来を構想するかにかかっています。

 

政治家であれ、官僚であれ、あるいは一市民であれ、私たちは皆、「生物」としての制約の中に生きています。その制約を「根性」という精神論で無視し続けることは、個人の生命を危険にさらし、社会全体の判断力を鈍らせ、未来の可能性を狭める行為に他なりません。

 

午前3時に煌々と灯る明かりは、誰かの「熱意」のではなく、私たちの社会が「脳」という最も貴重な資源をいかに浪費し、未来を切り売りしているかを示す「警鐘」なのかもしれません。

 

1000年先の未来のために私たちが守るべきものは、旧態依然とした慣習ではなく、健康で、創造的で、長期的な思考が可能な「脳」そのものであるはずです。そのための第一歩は、脳科学の知見に基づき、私たちの「働き方」そして「生き方」を根本から見直すこと。まさに、今、この瞬間から求められています。